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2014.03.27 UP

いい会議

今さっき、ある番組の最後の会議が終わりました。 来週で最終回を迎えます。その会議でした。 いつも通りの会議室で始まり、いつも通りに楽しいについて考えました。それはとても尊いものでした。 数字を取ろうとか、引っ張ろうとか、ハプニングを起こそうとか、いつの間にかそんなことが自然なことだと思っていた自分がいましたが、この会議で、そんなことは二の次だということに気付かされました。プロデューサー、ディレクター、AD、放送作家、みんなで「番組に出る人、観る人、作る人の気持ち」を考えました。最後だからと言う訳ではなく、「気持ち」をイメージして細かく細かく考えました。細かく決めると予定調和の段取りになるので、細かく考えるです。するとどんどん生放送を楽しもうという気持ちになれました。これなんだこの番組の良さは。本質は。 終わるではなく、やりきるという気持ちになれました。 この番組はいろんなことを教えてくれました。 僕はこの番組の客入れの光景が好きでした。観覧のハガキを出して、当ったお客さんがスタジオに入ってくるシーンです。「うわーっ、テレビと同じだ!」とか「意外と狭いのね〜」とか口々に色んなことを言いながらもみんなニンマリしています。この光景を眺めると初心に戻れます。 毎週、この番組を作る時、イメージすることがあります。 「風邪で学校を休んだ中学生のために作ろう」 風邪で学校を休んで寝ている中学生のガキです。午前中、病院に行って、後はおとなしく寝ているのですが、お母さんが買い物に行った隙に、こっそり起きて、お茶の間でこの番組を観る。普段は学校で観られないけど、今日だけは特別。帰ってきたお母さんに「寝てなさい!起きる元気があったら学校行きなさい!」なんて小言を言われながらも観ている。そんな中学生が学校を休んで良かった〜!と思える放送にしようと。 あの頃の自分がそうだったからです。ゲストがしょぼいとがっかりしたり、予定にないことが起きるともの凄く嬉しかったり。 そんな気分にさせてくれるのは歴史だったり、伝統だったり、スピリッツだったり、企画意図がそうだったりするからです。 最後の会議、会話と会話の合間に少し間があくと、誰もが最終回の光景をイメージしているようでした。気負うことなく、押し付けがましくなく、みんな穏やかに、自分が感極まる気持ちをさておき。 ふと入ったラーメン屋のテレビで最終回を見た誰かがが観て良かった!と思えるような最終回。 何日も家に帰っていないADが美味いビールと最高に熟睡できるような最終回。 出演者が、番組の精神を色んな番組にそっと忍ばせていこうと思える最終回。そして「きっと明日はイイトモロー」と思える最終回。 ちなみに会議の締め、拍手が起きました。プロデューサーの目に素敵なキラキラした水のようなものが浮かんでしました。
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